ホリエモンは日本脱出すればいいのでは?
最近、あらためてもう日本からは逃げたほうがいいのじゃないかって議論がありますが
それでいうなら、ホリエモンなんかは、さっさと日本から出て行って
アメリカなりヨーロッパで成功しちゃえばいいんじゃないでしょうか?
あ、誤解のないようにいっておくと、ホリエモンなんか日本から出ていっちゃえ、なんていう意味ではありません。
念のため。
わたしはいわゆるロスジェネに属する世代で、ライブドア事件については
日本の既得権益層は想像以上に分厚く、なかなか壊せないものなんだなあというのを痛感したくちで
いまだにホリエモンにはそういう旧体制をぶちこわしてもらいたい気持ちはあるのですが
なんか、もうこのまま国内で腐っていっちゃうくらいなら世界に打って出てもらったほうがいいのかな、と思う今日この頃。
じっさい、ホリエモンならできるんじゃないか、というのもあるし。
そもそもなんで日本のなかで勝負しようとしたんだろう?とか
いまになってみると思われるわけで。
とはいっても、ハテナなんかはチャレンジして、ま、いったん退却となったわけだから
やはり、有能な個人があくまでも個人として向こうの世界に売り込んでいって成功するというのと
企業として世界を相手に成功するっていうのはやはり違うのかもしれない。
なんかぐだぐだになって来たのでこの辺で。
「クォンタム・ファミリーズ」を読み終わった
イブの夜にひとりで読み終わりましたよ。ええ。
結論:これは村上春樹への挑戦状である。
少なくとも「1Q84」は期待していたほどのできではなかったし
それに比べるとこちらの完成度はよっぽど高い。
いわゆるライトノベルとかは読んだことがないので
その辺の影響についてはよくわからないが
短い文章で状況を描写していくというのがそれなのかなと漠然と思った。
「ハードボイルドは正義ではない」
この一節が重要だ。
チャンドラーの有名なフレーズ*1の変奏ともアンチテーゼとも読める。
そして、春樹が愛し自らに課しているある種の「タフさ」についての本質的な批判をはらんでいる。
それは、東浩紀とこの物語の主人公がともに子どもを持ち
主題でもある「家族」をめぐってぐちゃぐちゃと這いずり回るように生きているのが象徴的である。
村上春樹であれば、それは全て捨象され、すべてが「ぼく」のタフネスに回収され
すべては近代都市に生きる匿名的な(そしてだからこそある種普遍的な)平板な人生となる。
そこでは、料理の細かな手順や生活の細部を事細かに描くことによって具体的な「生活」をつくりだすが
それはどこまでいっても、俗世のしがらみを削ぎ落としたあとの無機質さを伴っている。
「ハードボイルドは正義ではない」
それは、こうした村上春樹的倫理に対する異議申し立てなのだ。
35歳。結婚もし、こどももでき、いやがおうにも流されていく。普通だ。
しかし、たとえ結婚を拒み、子をもつことを拒んでいたとしても
「ぼく」の人生の陰にははっきりと「死」が寄り添ってくる。
村上春樹はそれをハードボイルド的倫理で乗り越えた(いや、いまも乗り越えようとしているのだろうか)。
しかし、そのタフネスはある種の空虚さを持っている。
そして人は、その空虚さをこそ恐れる。
だからこそ、春樹の小説の主人公は泣いてしまうのではないか。
いくら自らを鍛錬して磨き上げても、それは必然的にいつかは失われるものだ。
それは真理である。
ではそれに対して、春樹的タフネスは有効なのか。
確かに有効「だった」のだろう。
しかし同時にそれは、ハードボイルドワンダーランドのなかで、永遠の「35歳」として生きなくてはならない、ピーターパンになることではなかったか。
そこで東浩紀は問うているのだと思う。
「あなたはもう35歳ではない。35歳ではない以上、永遠の35歳として生きる「タフさ」に対して、メタ的なもうひとつの「タフさ」がなければ、次の「ステージ」には進めない。あなたにはそれが分かっているはずだ。つまり「ハードボイルドは正義ではない」ということだ」
来年には「1Q84」の第3編が出るはずである。
われわれはそこにメタ的な新たなタフさを見いだすことができるだろうか・・・
- 作者: 東浩紀
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*1:「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」
これはすごい「クォンタム・ファミリーズ」(東 浩紀)
とりあえず、なんかすごいことになりそうな小説なので記録。
読み始めたばかりだが、なんかすげぇ・・・
亀井さんはそろそろ自重したほうがいい
郵政民営化はひっくり返すは、元官僚を起用するは、挙げ句の果てに補正予算の閣議をぶっちしてお流れにして上乗せを要求と、まぁ、よくもこれだけやったもんだなと思う。
ある意味すごい実行力というかなんというか・・・
国民新党という弱小政党にも関わらず、ここまでのことができたのは、連立政権内でキャスティングボートを握っているためだ。
うまく権力を使って自分たちの政策を実現していくのは政治家の仕事なのだから、ある意味では評価するべきかもしれない。
でもちょっと待ってほしい。
国民新党ってこの前の選挙でどんだけ支持されたんだっけ?
民主党が308議席とったのに対して、国民新党はたったの3議席だよ。
wikipedia:第45回衆議院議員総選挙
わずか3議席の政党が308議席の政党を振り回すって一体どうなんだ?
はっきり言って、いま亀井さんがしていることは国民に支持されてることじゃない。
たまたま議会制民主主義の仕組みのなかで手にした、棚からぼたもちの権力に過ぎないのだ。
ところが、亀井さんと来たら「どうだ、まいったか」ってな調子でにやにやしている。
亀井さん、有権者をバカにしちゃいけないよ。
みんな見てるんだ。しかも、その大部分はあんたの政党を支持してないんだ。
今回の件で改めてよーくわかった。
やはり国民新党ってのは、自民党政治のいちばんダメだった部分、つまり
「ゴネ得」を体現した政党だということだ。
亀井さん、そろそろ自重しないと、いいかげん国民は愛想を尽かしますよ。