ゲーム専用機とPC...標準化の光と陰

 
http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000056025,20107247,00.htm?ref=rss
 
この記事とは直接関係しないのですが、ふと思ったので(&すっかりエントリからご無沙汰なので)少し書いてみます。
 
まずは思い出話から。
私は、1974年生まれなのですが、小学生の頃にパソコンブームに出くわしました。
4、5年生くらいだったと思います。
そして結局、6年生になって、シャープのX1という今となってはパソコンとテレビの融合を先進的に達成した(嘘)マシンを手に入れました。
そして、手に入れた途端にそのパソコンは廃れてしまい、小学生だったこともありソフトも年に1、2本しか手に入れられないため、大したことはできずに終わってしまいました・・・。
 
そうはいっても、パソコンになんか興味を持つ子供ですから、「プログラム」っていうものには何かしら魅かれるものがありました。で、手を出したのが雑誌「マイコンベーシック」(!)
間違いなく打ち込みゃいいんだろう、ってことでやってみたら、なんかうまく行かないんです。
何度見直したって、誌面のまんま。
おいっ、どうなってんだっ?ってなところです。
 
しかし、結局誌面の片隅に「うまく動かない時は自分でなんとかしろ。俺の知ったこっちゃねぇよ。黙ってろ、このウスノロ」(意訳)みたいな注記があって、なんか子供心に「こんちくしょう!」とか思っていろいろ自分で考えて手直ししたんです。で、ようやく動いたと思ったら、その動きのショボイこと・・・
こんだけ時間と労力を費やしてこんだけかよ・・・と。
この時点で私は「向いてネェな」って思ってパソコンから遠ざかることになりました・・・
 
で、そのあとのPCの進歩、つまりはIT革命ってヤツは、ほんとすごい進歩を遂げましたね。
んで(前置きが長かったですが)今のゲーム機市場を見るに、ちょっとした感慨があるわけです。
 
つまり、かつては各社で様々なプラットフォームを作ろうとしてきたPC業界。でも結局ソレはいまのWindowsマシンへと収斂されてくる形でどんどんと「標準化」が進んできました。
その結果の恩恵は説明するまでもないでしょう(ま、私自身はマカーなので、あくまでも「客観的に」ということになりますが、やっぱりビジネスシーンではWindowsの力は認めざるを得ないですし)。
 
「標準化」の恩恵として、さまざまな周辺機器の接続の容易さや「誰でも知ってる」という「安心感」の獲得など、上げていったら切りがないかもしれません。
 
ところで、そこでゲーム専用機業界に目を向けてみると、何か懐かしい光景であるようにも思うのです。
各社が次々と先端技術をつぎ込んで新しい端末を作り、あらたな市場を生み出していく。
 
そのこと自体は取り立てて重要ではありません。むしろ、技術の発展のためには必要不可欠なものだといえましょう。
 
しかし、あるマシンでプレイできる(いい=面白い)ゲームは、別のあるマシンにおいてはプレイできない、ということは、これからもその個別のマシンを売っていくための動機付け(=マシンあるいはブランドの差別化)となり得るのでしょうか?

なんかこれも難しくなってきているのではないか。
もう少ししたら、PCなんて結局は要らなくなるんじゃないのか。
家にはゲーム機があれば、移動中にはケイタイがあれば、そして会社にはOffice系のソフトが動く環境さえあれば、誰も困らないのではないか。

「標準化」は確かに一面で技術の進歩を加速し、一方では確かに減速するようなものなのかもしれません。
PS3ブルーレイディスクを採用することでBDは普及するかもしれない。
しかし、その正反対に、こけたら完全消滅、と。

Cellプロセッサがどの程度すごいのか、よりも、それが結局どのくらい普及するのか
そして、それらを包括するようなフォーマットが登場するかどうかというところに未来は隠されているのかもしれません。

そして、そういう「絶対的寡占」を達成するためには、運命の女神が微笑んでくれることが必要なのかもしれませんね。