職業選択の自由は職業不選択の不自由


プロ野球選手になりたい子どもがいたとして
ま、普通は才能ないから大部分の子は諦めるわけだ。


しかし、だからといって職業選択の自由があるのにそんなのおかしい!なんていわない。
それはそいつの才能に関わる問題だからだ。
「その職業に就きたいと思う」ことと「実際に就けるかどうか」は別のことである。


じゃあ、何にもなりたいものがないひとはどうすればいいのだろう?
大部分のひとは適当に学校に行って、適当に就職しようとする。
もっともらしい志望動機をむりやりつくってまで。


やりたいことがないんだったら、何もやらなくてもいいんじゃね?というのがニートだろう。
経済的にきついひとはフリーターや派遣やらで食いつなぐしかないだろうが、本音はなんにもやりたくないのでは?


つまり、職業選択の自由のなかには「どれも選ばない」という選択肢はない。
やりたくなかろうが「どれか選べ」ということ。


まぁ、いまさらだけど。
もちろん、憲法にも国民の義務として「働け!」(意訳)ってあるくらいだからね。
でもそうなると、ニートは非国民なわけだ。
いや、ぼくがそう言ってるんじゃなくって憲法が、ですよ。


「働く」とはなんぞや?と思う今日この頃。