「1997年-世界を変えた金融危機」(竹森俊平、朝日新書)

以前読んだ「経済論戦はよみがえる」(日経ビジネス文庫)がめっぽう面白かった&ためになったので購入・・・したものの、しばらく積ん読状態になっていたものを読み始めたらやはりこれも面白かったのでご紹介。


まだ途中なので、全体を通しての感想とかではないです。念のため。


20世紀前半のアメリカの経済学者フランク・ナイトの提唱した「リスク」と「(真の)不確実性」の区別の説明があって、前者は確率的に予測のつく不確実性、後者は確率的には予測できないような不確実性と定義される、と。


そこで「企業家」というのがかなり否定的な見方をされているところが新鮮。最近はやりの「行動経済学」のような、経済学の前提とする「人間の経済行動の合理性」を疑問視する考え方ではなく、ナイトはあくまで標準的な「合理的に行動する人間」という経済学の標準をふまえているとした上で

われわれの世界は「不確実性」によって包囲されており、その領域に踏み込まない限り、ニュー・ビジネスはおろか生産活動全般が成り立たない。その「合理性」の成り立たない領域における人間の行動は、「合理的」ではありえない。そこでは、「強気」または「弱気」の心理が人間の行動を支配する。(P.100)

ようするに、「企業家」なんてのは、「ギャンブル好きで楽天家で自惚れが強い」やつじゃなきゃなりゃしないよ、ってことで(笑)


いやー、なんといってもポストバブル&超就職氷河期に当たってしまって、ことあるごとに「起業家精神が大切」だのなんだのと言われ続け、いつの間にやら、そういう価値観にある種洗脳されていた自分には、目からウロコ状態(笑)
(この場合の「起業家」ってentrepreneurのことだろうから、「企業家」とおんなじなんだけれども、ベンチャー立ち上げるやつがエラいみたいな風潮からか字が変わったのでしょうか・・・ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示ください)


ま、考えてみれば、ハテナを応援したくなったり(このブログ作ったのもそう)、このブログのタイトルだって、まあ、そういう価値観で出てきたものな訳で。考えてみるとイタいな、と(汗)。
とはいえ、「企業家(=起業家)」と言われる人がいないことには、やはり世の中が動いていかないというのも、一方では真実のようなので、うーん、どうなんでしょうねぇ。


上記の他、関連するものとして「勝者への呪い(ウィナーズ・カース)」なんて言葉(面白そうでしょ?)も出てきますので、興味のある方はご一読を。
損はしませんって。いや、ほんとに。


1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

経済論戦は甦る (日経ビジネス人文庫)

経済論戦は甦る (日経ビジネス人文庫)